こんにちは、はじめまして。「やりたいことがわからない」という悩みを解決するプロです。
僕は、以前は1日11時間、週6日働く普通の会社員でした。
毎日時間を奪われ、自分のやりたいことができずにいました。
しかし、フードデリバリー(ウーバーイーツなど)に本気で取り組んだ結果、初月で「524,331円」稼ぐことができました(月収50万円達成)。
その3ヶ月後には「746,646円」を稼ぎ(月収70万円達成)。ちなみに、バイクではなく電動自転車のTb1eを使って配達していました。
そして、渋谷に「家賃18万円」の家を借りることにも成功しました。この経験を活かして配達コンサルを始め、すぐに多くの生徒さんが集まりました。
しかし、ここからは配達プレイヤーとしての生活に飽き、僕のキャリアは紆余曲折していきます。
昼はパソコン事務や倉庫移転作業、夜はスカウトやバーテン、ホストなどさまざまな仕事を経験しました。
それでも、どの仕事でも大きな成果を出すことはできず、「いい経験だった」で終わることが多かったです。
最終的に、「お金を稼ぎに行っても無駄」という価値観に落ち着きました。
このBrainでは、①僕がフードデリバリーに取り組む過程とその結果、②お金に対する価値観の変化、についてお話しし、「欲求の専門家」ふれにいの誕生秘話をお届けできればと思います。最後まで読んでいただけると嬉しいです。
第1章 なぜ「フーデリ」を選んだか
選択にはその人の価値観が現れます。「フーデリ」に対して偏見を持つ人も多い中、なぜ僕がそこに取り組むことにしたのかをお話しします。
僕の前職は「風俗店員」でした。歌舞伎町の一角にあるデリヘル店で電話対応や女性対応、金庫管理、配車業務などをしていました。
時にはドライバーとして送迎業務も行っていました。仕事自体は大変でしたが、月30万円の安定した収入がありました。
「え?それなら続ければよかったじゃん?」と思われるかもしれませんが、僕は満足できませんでした。
その理由は複数あります。借金が100万円以上あった、女遊びをする時間がなかった、夜勤で「ストリートナンパ」ができなかった、時給換算すると約1000円しかなかったなどです。
この選択が間違っていることに気づきました。
そんな中、「出前館」で時給2000円稼げるという話を聞き、実際に知り合いが「月70万」を達成していたことを知り、フーデリに興味を持ちました。
第2章 下準備の苦労
何かを始めるのは簡単ではありません。これまでの「会社員人生」を捨てる覚悟が必要です。
僕がいた会社では、退職の申告は「辞める2ヶ月前まで」と決まっていましたが、僕は今すぐにでも辞めたいと思っていました。
とはいえ、明日からバックれるのは非常識なので、1ヶ月前に申告しました。
ここから1ヶ月間の戦いが始まります。毎日、店長から説得され続けました。
「ウーバーは絶対大変だぞ」と言われ続け、退職を阻止しようと必死でした。しかし、僕は一切曲げませんでした。会社員を辞めることが必要条件でした。
そんな中、店長が投資の話を持ち出しました。
最初は興味を持ちましたが、後で冷静に考え直し、正式に退職届を作成し本社に郵送しました。
これにより、会社を完全に辞めることができました。以上がフードデリバリー専業に移行するための苦労と下準備です。
第3章 一ヶ月やってみて
こうして始まったフーデリ生活。目標金額を「50万」に設定しました。
初日はウーバーイーツのみで、最高のスタートダッシュを切りたく「2万円」を狙いました。
結果的に、19,700円で終わりましたが、その後の配達でチップをもらい、2万円を超えることができました。
そこから数日やっていると、長時間稼働に慣れてきました。
月50万円を突破し、前職の店長の言葉を思い出しながらも自信をつけることができました。
第4章 70万playerの秘訣
月収50万を達成した後、自分のビジョンを考え直しました。
僕は「都心部で一人暮らしをし、毎日街に出て遊びたい!」と思うようになり、渋谷での配達を始めました。
もう1ヶ月フーデリにコミットした結果、月収70万円を達成。その成功要因を振り返ります。
毎日のルーティーンはシンプル。出前館のオファー音で起き、顔を洗い、すぐに出発。食事は屋台で手早く済ませ、時間効率を意識しました。
髭剃りや風呂は時間短縮のため省略。
女遊びも控え、風俗を利用して時間を節約しました。
第5章 生活の劇的な変化
月収70万円を達成したことで、人生に大きな変化がありました。
家賃18万円の広い部屋を借り、シェアハウスの経営を始め、渋谷での生活を満喫しました。
第6章 配達コンサルを実施
配達コンサルで10人以上の生徒に指導し、実績を出してきました。
初心者でも月収30万円を稼げるようになり、次月にはさらに高い収入を狙えるようになりました。